2010年9月15日水曜日

朝、夕の風が涼しく感じられるようになりました。
気がつけば、9月も半ばです。
政治では菅さんが小沢さんを破って、民主党の代表に再選しました。
まだまだ安定しない世の中ですが、私たちはそれに左右されている暇がありません。

去る9月11日~13日まで、古琉球紅型 浦添型復元に伴い「木綿講習会」を
伊差川洋子染色工房にて行いました。
木綿?と不思議に思われていらっしゃる方もいるかもしれません。

初めてブログを見られた方のために、
現在に至るまでの経緯を簡単におさらいします。

紅型作家である伊差川洋子先生が古琉球紅型 浦添型研究所を立ち上げ、
紅型の祖形と言われる「浦添型(蒟蒻型)」を研究されています。
研究していく中で、先生と沖縄県立博物館が所蔵する、浦添型と思われる裂
(1種類)を復元しようということになりました。

まず、素材。その裂は手紡ぎされた木綿です。外国からの輸入品ではないことから、
当時、沖縄で栽培された島木綿ではないかと推測されました。
(1611年薩摩より木綿の種が持ち込まれ、那覇、南部は一面木綿畑だったそうです)

そこで、木綿を植えることから始めました。
ためしに北部の名護市源河(オオシッタイ)に植えてもらい、
今年は那覇の隣、豊見城市与根でも木綿を植えました。
葉や実を食べてしまう害虫が出ては、
農業をされる方、農協、沖縄県南部農業改良普及センターに相談に行きましたが、
沖縄県には木綿についてのデータが残っておらず、
木綿の産地である愛知県(知多木綿)へ連絡をとったりと
四苦八苦しながら、やっと収穫期がやってまいりました。
この沖縄で採れた木綿を沖縄の人に紡いで織ってもらい、
その白生地に浦添型を染める
という、
素材からの復元を目指して進行中です。
しかし、現在の沖縄には木綿を紡げる人材が少なく
簡単に指導を仰ぐことが難しいのです。

木綿のことについて協力いただいている愛知県名古屋市で
丹羽ふとん店を営んでいらっしゃる丹羽正行さんを
お招きし、「綿から糸への道具使い」ということで実演を交えて
お話いただきました。
ふとん屋さんがどうして糸紡ぎ??と不思議に思われたのは
私だけではないのでは(笑)
私も大変失礼だとは思いながらも「糸を紡がれるんですか?」と
お尋ねしたところ、
「ふとん屋なのに変でしょう(笑)木綿のことにのめり込んだら糸紡ぎまでね」
と気さくに答えてくれました。
そうです。丹羽さんは、ただのふとん屋じゃないんです!
内閣総理大臣賞をいただくほどの職人でありながら、
世界各地の綿や綿に関る道具を見て歩いたりと自己研鑽を
積まれています。

今回、木綿講習会に参加された方は、「浦添型復元のための綿花を育てる会」
のメンバーと、木綿に興味のある織物工房の方や
沖縄県立芸術大学の織物専攻の大学院生など、普段は絹で
織物をされている方がほとんどでした。

綿繰り(種と綿とを分ける作業)、綿打ち(弓を使って綿をほぐす作業)
糸紡ぎまで丁寧にご指導いただきました。
       

  「綿打ち」


  

  「糸紡ぎ」

その中で驚いたのは、絹や麻などは糸を紡いでいて切れたら、
結んでつなげるのですが、綿は切れた部分と繋ぐ部分を重ねあわせるだけで
1本の糸に繋がるんです!なんと「マジック!!」
綿ってこんなにも魅力あるんだと気づかされました。

1反の着物の復元
たくさんの方々に支えられながら
浦添型復元へ向かって進行中です。

2010年8月9日月曜日

台風4号発生!

深夜に発生した台風4号。
今朝、窓のそとでうなる風の音に
「台風?でも昨日の天気予報では何も言ってなかったけどなぁ・・・」
と、布団の中で考えながら「はっ!!」として起きました。
「綿!!」
そうです。大きく成長した綿は今月に入って少しずつですが、
実がはじけ始めています。

そして今日か明日にでもはじけそうな実がいくつかあるんです。
その実が強風で落ちてしまってはいないか、幹は倒れていないか・・・。
ヒヤヒヤしながら畑へ行ってみると、残念ながらこの強風で数本の幹が折れていました。



ものによっては、支柱までもが一緒に倒れていたりと
自然の驚異には勝てませんね。
それでも、はじけた実を見つけ収穫しました。



ここ数日、毎日のように畑へ足を運び害虫を捕り、実をチェックしていると
農業をしている方々の努力をしみじみと感じます。
自然との闘いですから、思うように事が進むはずもなく、
1日でも見に行かないと畑の様子が分からないと聞いていましたが、
本当にその通りだと実感しています。
なんだか、はるさー(畑仕事をする人)になった気分です。

すべての実がはじけて収穫できるまでみんなで頑張りま~す。

2010年7月3日土曜日

綿の花が咲きました ♪

セミの鳴き声が例年より小さく聞こえるのは私だけでしょうか??

前回ブログに書いた翌日、沖縄は梅雨明け宣言が出されました。
日照不足等もあり、綿花の発育がいまいち微妙・・・?ということから
その後、畑へ液体肥料を散布しました。

今朝、与根の畑へ行ってきました。
上に伸びる茎が暴風ネットまで届いているので、
ネットをはずし支柱と茎とを固定させる作業を再度してきました。



肥料散布から約10日。
なかなか大きくならず、葉っぱが黄色くなりしおれたかのようになっていたものは
青々と驚くほど元気になり、今まで順調に伸びていたものは、きれいな花を咲かせていました。



花が咲き、しぼんでくると下のようになります。
色が変わるんです。




驚きですよね~!
与根の畑では、いくつか花を咲かせていますが、
それでも成長がまちまちなのが残念です。
今回は植える時期もずれてしまったりといろいろありますが、
花が咲いたので綿が採れるのも、あと少しかもしれません。
楽しみです。

2010年6月17日木曜日

梅雨明け?!

室内の気温29度。湿度80%・・・。 
クーラーのない工房では、恐ろしいくらい蒸し暑く、
過ごしにくい日々が続いています。
これだけ湿度があると、防染糊がふやけちゃうので
除湿機を2台動かしたり、ストーブを炊いたりと、
ある種の拷問??みたいな状態です(笑)
毎年のことですけどね。

本土では北海道を除いて全国的に雨入りしましたが、ここ沖縄では
そろそろ梅雨明け宣言がでそうな雰囲気です。
一昨日の6月15日は旧暦の5月4日。
海の恵みに感謝し、豊漁と航海安全を祈願する伝統行事
『糸満ハーレー』の日でした。
沖縄では「ハーレーの鐘が鳴ると梅雨が明ける」と言われています。
それなので、梅雨明け宣言を待たずに「そろそろ梅雨明けだね~」と
勝手に宣言しちゃっていますが(笑)

さてさて、前回の投稿から約2ヶ月が経とうとしています。

ここ数日の大雨で木綿がどうなっているかハラハラしながら
今朝、与根の畑へ草むしりを兼ねて様子を見に行ってきました。
すごく成長しているものから、まだまだ・・・というものまで
成長にバラつきがみられました。
成長が良く、上に伸びているものは横に倒れていくので
ひもで支柱に結びつけました。
木綿も生き物なので、強い子、弱い子それぞれです(笑)




今年は日照時間が少なく作物にも影響が出ていると聞きますが、
人ごとではありません。
農作業については全くの素人ですので、
与根の畑を管理している金城さんの力をお借りして、
木綿の成長を見守っていきたいと思います!

2010年4月28日水曜日

今年も綿花植えます!!

4月というのに微妙な天気が続いています・・・。
この時期、沖縄の催事である清明祭(シーミー)も、
例年なら汗だくになって準備して、お墓では団扇をパタパタさせながら
お供え物を広げ、みんなでワイワイやるのですが、
今年は団扇いらずで涼しく、ちょっと変な感じでした。

さて、「浦添型」復元のための綿花を育てる会が昨年度
名護市原河の通称オオシッタイで綿を植えてみましたが、
昨年の結果として、土壌の質や害虫などいろんな問題があり
思うように綿がとれませんでした。
芽が出てしばらくは勢いがあったんですけど、残念です。
齋藤αさんの頑張りがなければ全くのゼロだったかもしれません。
しかし、ここで諦めるわけにはいきません!!
今年は、昨年の経験を生かしてオオシッタイでもう一度トライすることと、
もう1ヶ所、豊見城市与根(南部)でも植えてみようということになりました。
その理由として、土壌の違いがあります。
オオシッタイは酸性土壌であり、那覇・南部はアルカリ土壌であるからです。
木綿は弱アルカリが丁度いいといわれています。
勿論、オオシッタイでも畑を作る際には石灰を入れて、弱アルカリにしています。
その上で2ヵ所の木綿の育ち具合等を比べてみようということになりました。
与根の畑を提供してくださったのは、工房の近くに住んでいらっしゃる金城さんです。
金城さんも木綿は初めてということでしたが、綿花についていろいろと調べ、
ご協力くださっています。本当にありがとうございます!
今月に入って木綿を植えるために畑作り、支柱を立て、風当たりが強いということで
暴風ネットをかけ着々と体勢を整えてきました。





木綿の種を発芽させることが大事ということで、
今回はポットで発芽するまで業者さんに管理していただきました。
その苗をなんと今日、与根の畑へ植えてきました。





オオシッタイでも芽が出ていると報告がありましたので、
2ヵ所の情報を載せていきたいと思います。
そして今年は「浦添型」復元へ向け本格的に始動します。
どうか、お天気が味方してくれますように・・・。

2010年4月13日火曜日

鯨岡阿美子の愛した きもの展


先日4月9日(金)~ 11日(日)まで那覇市の琉球料理 美栄(古波蔵家)
にて開催されました
『鯨岡阿美子の愛した きもの展』は大変盛会に終えることができました。
阿美子氏が実際愛用されていたきものや帯、羽織が実際に着られている
お写真と共に60点余り展示されました。
なんとも言えない大胆なきものから、モダンなきものが帯とあわせて観ても
本当にステキ!!でした。


全く時代を感じさせないきものを自分の着方でゆったりと着て、
そして観る人をもこんなに楽しくさせてくれる阿美子氏は
お亡くなりになって20年以上経つ現在でもみんなの憧れだと感じました。
ほとんどが昭和のきものではありますが、
最近ではお目にかかれないような貴重なきものもありました。
中には、中国清朝に織られたと思われる繻珍裂、
琉球では御蟒緞(ウマントン)と呼ばれる国王の大礼服がありました。
五爪の大龍が大空を自由奔放に翔けている姿を
絵画風に浮織りした金襴緞子の豪華絢爛な裂地です。
沖縄県立博物館が調査した結果、戦前に尚家の中城御殿に残されていた御蟒緞と
同じ模様構成であり、沖縄の染織研究を進めていくうえで
大変貴重なものだそうです。
所有者の古波蔵保男さんより沖縄県立博物館へ
寄贈されることが決まりました。

会期は3日間しかなかったものの、本当に多くの方々にご来場
いただき誠にありがとうございました。
お着物で来られた方も多く、阿美子氏もお喜びになっているのでは
ないでしょうか・・・。
『鯨岡阿美子の愛した きもの展』実行委員会(沖縄県内の染織家 約30名)の皆様、
そして古波蔵家の皆様大変ステキな催し物を
ありがとうございました。

2010年3月15日月曜日

お知らせ

戦後のファッション界をリードした服飾評論家・鯨岡阿美子氏(1922 ~ 1988)は、
日本テレビ開局と同時に入社。日本初の女性プロデューサーであり、
一貫して和服姿で活躍されたことでも有名です。
そして夫である故 古波蔵保好氏の故郷
沖縄の染織をこよなく愛していました。
私たち沖縄の染織家と出会ったのは、昭和59年3月。
当時の国立博物館 染織室長であった山辺知行氏を同行し、
染織講演とティーチィンに始まりました。
それから亡くなるまでの正味3年間の付き合いは、
まるで火の玉のようだったと思い出されます。
沖縄の染織には「ダイナミズム」を感じ、「人生の哀感がある」
と語っていました。
「本当に夢のあるものを作って下さい」「伝統とは創作なんですよ。
一番大事なのは自分が何をやりたいか。自分をみること。正確にみること。
(中略)精神の自由さ。(中略)愛・・・という情熱が
沖縄の伝統をつくってきたんじゃないですか。(中略)
誇りをもってほしい」と叱咤激励してくださいました。

阿美子氏にはびんくらふとギャラリーでも沖縄の染織について
夜遅くまで話し合い、アドバイスもいただきました。

一昨年前の年末、びんくらふとギャラリーへ足を運ばれた
古波蔵徳子さん(阿美子氏の義理の娘さん)との会話から、
生前阿美子氏が愛用していたきものが古波蔵家にあることを知りました。
今年は23回忌ということもあり、阿美子氏が愛蔵していたきものを
ぜひ多くの方々にご高覧いただきたく、今回の企画を立ち上げることとなりました。
そして生前、阿美子氏とお付き合いの深かった、
東京にあるシルクラブさんの賛同があり、
東京と沖縄の二会場で開催する運びとなりました。



  日時 2010年3月26日(金)~ 4月1日(木)
      11:00 ~ 18:00
  会場 シルクラブ 
(東京都中野区沼袋2-30-4 TEL 03-3389-4301)

東京展では、鯨岡阿美子氏と交流のあった沖縄の染織家が作品をもちより
ぬぬぬ市展を同時開催いたします。


そして沖縄では、阿美子氏の自宅でもある「琉球料理 美栄」
会場にして展示いたします。



  日時 2010年4月9日(金)~ 11日(日)
      10:00 ~ 19:00
  会場 琉球料理 美栄 
     (那覇市久茂地1-8-8 TEL 098-867-1356)

  会期中に限り、美栄特別御膳(¥2500)1日限定30食を
   ご用意致します。※要予約 
   お席に限りがございますので、お時間を
   11:30~ 12:30~ 13:30~ と分けさせていただきますことを
   ご了承の上、ご予約下さいますよう重ねてお願い申し上げます。

2010年3月4日木曜日

綿繰り開始!

オオシッタイで採れた綿の花子ちゃんは、
ただ今、綿繰りの作業に入っています。
「綿繰り」とは、収穫されたコットンボールには
綿と種が一緒になっているので、それを分ける作業のことです。



「浦添型」復元のための綿花を育てる会として、
今回は初めての栽培ということもあり、いろいろな事がありました。
種まきの日、カラスに種を食べられたところからスタートしましたから(笑)
何より無農薬で綿を栽培することの難しさは、薬品がなかった時代の
先人たちがどんなに一生懸命もの作りに努力したか・・・。
そのことを肝に銘じて、また新たに挑戦です!!

今回採れた種をまた植えるためにαさんが早速、畑を耕し準備してくれています。



早ければ今月中旬にでも、種をまく予定です。
浦添型復元へ向けて一歩ずつ前進しています!!!

2010年1月29日金曜日

今年も頑張ります!

ここ数日、厳しい寒さが一段落したのか
少し暖かい日差しが差しはじめホッとしています。
(高台にある工房はすごく寒いんです・・・)
ところどころで桜の開花も見られるようになりました。
2010年がスタートしてもう1ヶ月が過ぎ去ろうとしています。
今年はやりたい事、やらなければならない事、
課題が山積しています。

さてさて、オオシッタイで育てている綿花も
次々にコットンボールがはじけています。
いろいろな問題を抱えながらも収穫が出来るということは
大変うれしいことです!




昨年始まったブログ、まだまだ上手に活用できていませんが
びんくらふとギャラリーでの催事や伊差川洋子染色工房での出来事、
「浦添型復元のための綿花を育てる会」の進行状況など
いろいろとお知らせしていきますので
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。